何屋をやるか?

何屋をやるか。それが一番最初の問題だと思う。

 

やはり、マーケットの大きい業態をやったほうが良い。

今努めている会社のメインの業態は「焼肉」である。

コロナ前の売上は右肩上がりだったし、コロナにおいても底堅い売上を維持できている。

それはやはり業態事態に強みがあったからだ。

マーケットが大きいということは「競合店」も多いということだが、競合店との競争の中で勝ち抜けないのであればそれはやらないほうが良いだろう。

もし、ニッチな業態をやるならば、それをやるだけの覚悟と強みが必要だろう。

 

業態に関しての国内の動きについては、下記を参考にされるといい。

一般社団法人日本フードサービス協会

ホットペッパーグルメ外食総研「すべての人に、食で笑顔を。」

 

穏やかにではあるが、外食の機会も回復し、客単価も上がっているように見受けられる。

ここからは、筆者の推論だが、おそらく以前のような外食のスタイルには戻らないだろう。一度変わってしまった生活様式は、戻るということはない。

では外食産業が縮んだままかというとそれも違う。

いままでとは違う形で復活するだろう。

それは、なににいくら出すかという価値観と単価の違いかもしれないし、誰とどういうときに行くかという利用シーンの違いかもしれない。はたまた、それは外食でも内食でもない形で現れるのかもしれない。

それらを素早く察知し適応したものが成長をつかむのは間違いない。

コロナによって人々はテレワークをしった。おそらくほとんどの人はオフィス勤務にもどると思う。(それが日本のお国柄だから)
だが、テレワークで使用したツールの便利さは忘れない。なによりも、「対面しないことが普通」に思える価値観の変容が一番の変化であり、部分的なテレワークは今後も続いていく要因である。

 

話はそれてしまったが、飲食店においては、会社の飲み会が開催されないということは大きな価値観の変容といえる。

コロナによる規制がなくなったとき、それらが人々にどのような変化を及ぼすのかは定かではないが、二年間飲み会なしでやってきたという事実が飲み会の強制力を弱めるかもしれない。

そうなったとき、今落ち込んでいる「居酒屋」の状況は継続的な問題となるだろう。

しかしながら、人間は食をともにしたときに愛情ホルモン「オキシトシン」がでるという。これは本能的なものであり、一度誰かと食事をともにして幸せを感じ人の心には「誰かと食事を共にしたい」という欲求があるはずである。

職場でのつながりが希薄になれば、人は家庭でのつながりを求めるかもしれない。そうなれば家族での外食シーンが増えるだろう。もしかしたら、友達とのつながりを求めるかもしれないし、そうであれば友人との外食シーンが増えるだろう。

それらをいかに取り込み独占するかが「戻り切らないマーケット」では重要になるだろう。

 

とはいえ、筆者は人とのつながりを求めないたちなので、この先人々がなにでつながりの欲求を満たすのか皆目見当がつかないのであるが、、、